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街歩きのための
道祖神入門

since JUL/1999, update : 12/NOV/2005

道祖神を拝む女

CONTENTS
1.はじめに
2.道祖神概説
 ・双体道祖神
  道祖神の源流 ヨモツシコメの物語
  道祖神の成り立ち

 ・庚申塔
  庚申待/青面金剛/猿田彦
 ・道祖神関連事項 どんど
3.道祖神の仲間たち
 ・お地蔵様
  子安地蔵/六地蔵
 ・観音様
 ・タノカンサー
 ・磨崖仏
4.フォトギャラリー

はじめに

 道祖神(どうそじん)とは、読んで名の通り、道ばたに立てられた神様の石像です。お寺さんに安置された仏像と違って、無名の作者の手によるものが多く、地方色や個人色の強いユニークな形が刻まれているものです。また、外気にさらされ風化した石の肌は、自然に溶け込み、親しみやすい姿を現しています。

 気をつけて歩いていると、都会の中にもけっこうあるものです。区画整理や開発の際に神社や寺に移されることも多いので、そういった所を少し気をつけて歩いていれば、お目にかかれる機会がきっとあるでしょう。「文化財」として残っているだけでなく、きちんとお花や果物が供えられていることも少なくありません。

 ここでは、道祖神の本流といえる双体道祖神(そうたいどうそじん)や、結果として道祖神に組み入れられた庚申塔(こうしんとう)、また、道祖神とは呼びづらいものの親しみの上では同類に入れられるお地蔵様や観音様、双体道祖神と共通点の多い「タノカンサー」、さらに磨崖仏(まがいぶつ)について、ごく簡単に解説します。サンプル画像は「道祖神フォトギャラリー」に掲載します。街歩きを楽しむひとつの材料としていただければ幸いです。

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道祖神概説

双体道祖神

 男女一対の石像。男女仲良く肩を組み手を結んだ形が多いが、向き合って両手を繋いでいるものや抱き合っているものなどもある。おしなべて双方にこにこと笑って仲むつまじく、ほほえましい。「道祖神」という名の通り、道行く人を見守る役目もあるが、夫婦円満・子孫繁栄・五穀豊穣などを願って拝まれることも多いようです。

 関東〜東北にかけての地域に散在しますが、庚申塔と比べるとかなり少数。長野県の山中に多く見られます。

道祖神の源流 ヨモツシコメの物語

 日本の神話にでてくる話です。イザナギノミコト(伊弉諾尊)が死んだ妻・イザナミノミコト(伊弉冉尊)を想って泣き暮らし、ついに黄泉(よみ)の国に訪ねていきます。「地上に出るまで絶対に姿を見てはいけない」という条件のもと、連れて帰ることを許されるが、禁を破って後ろを振り返って見ると、イザナミは世にもおぞましい腐り果てた姿をしていました。驚いたイザナギは逃げ出しますが、ヨモツシコメ(黄泉醜女=死んだイザナミ)は怒って追いかけてきます。ヨモツシコメを地上まで出てこないよう行く手を阻むため、イザナギは杖を投げました。その杖から成り出た神を「さえのかみ」といい、これが道祖神の由来だといわれます。

道祖神の成り立ち

 イザナギノミコトがヨモツシコメを阻むため投げた杖は、障の神(さえのかみ)、塞の神(さいのかみ)、祖神(さえのかみ)、岐神(ふなどのかみ)など、色々な呼ばれ方をします。これに、中国渡来の「道祖」という行路の神様が重ね合わされて「道祖神」となったのではないか、ともいわれます。

 しかし、道祖神の原初の姿は、巨石文明を思わせる巨大な石柱や、男女の性器をかたどった一対の石(陰陽石)であったりしたようで、これは神話や道教より前に、五穀豊穣や子孫繁栄を願う土着信仰であるといえましょう。日本ならずとも世界各地でこのようなものが見られることは、周知の通りです。それが神話や道教の影響を受け、村境などに置かれ、邪霊の侵入を防いだり行路の安全を守る役目を持つようになったと見られます。そして、陰陽石から「男女一対像」へと転化し、その外形から、近世になって良縁・出産・夫婦円満の神としても拝まれるようになったようです。

 ちなみに、古代の石柱や陰陽石なども現存し、拝まれています。そういったあからさまに生殖・豊穣を示すものだけでなく、球形の石や異形の石なども辻々に置かれ、「さえのかみ」「さいのかみ」あるいは「道祖神」と呼ばれます。後述の「庚申塔」も、源流は違えど辻神様としての役割を果たします。世間一般には「道祖神」と言うと双体道祖神を指すことが多いですが、双体道祖神、石柱、陰陽石、異形の石、庚申塔などの総称と考えても間違いではないと思います。


双体道祖神の写真を見る陰陽石の写真を見る

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庚申塔

 庚申信仰(後述)から作られた石塔。多くの場合、逆立つ髪と6本の腕を持った憤怒相の青面金剛(しょうめんこんごう)を中心に彫られています。その他の構成要素としては、「見ざる 聞かざる 言わざる」の三猿、日輪と月輪、鶏、足の下の邪鬼など。青面金剛のかわりに大日如来を配したものもありますし、石に「庚申塔」という文字や梵字(青面金剛を表す梵字「ウーン」。右図参照)のみを彫ったものなどもあり、土地や作者によってかなりのバリエーションがあります。

 庚申塔が作られるようになったのは中世後期、最初は文字のみを刻んだ板碑でした。像を刻んだ庚申塔は江戸時代に入ってからのもの。辻などに置かれて、邪悪なものを祓う役目を持つようになりました。

 庚申信仰は道教に由来しますが、刻まれた像は仏教の青面金剛。庚申講で主神として祀られるのは日本の神話に登場する「猿田彦(さるたひこ)」、また、道教の老子が祀られたこともあるといいます。この、いかにも日本らしい宗教のミックスは、庚申信仰が、偉い僧や学者ではなく一般民衆によって大事に引き継がれたことによるのではないでしょうか。

 庚申講は現在でも各地で行われており、庚申塔も町中で多く見られます。

庚申信仰

 庚申待(こうしんまち)、庚申会(こうしんえ)、庚申講(こうしんこう)、御申待(おさるまち)などと呼ばれる行事があります。由来は道教の「守庚申」です。道家の教え曰く、人の腹の中には三尸(さんし)と呼ばれる3匹の虫が棲んでいて、その人の言動や隠しごとを見ている、それが、庚申(かのえさる)の夜人が眠っている間に天に昇り、罪を上帝に告げるのだ、と。三尸が天に昇ると命が縮まるとも言われ、人々は庚申の夜に眠らないよう、ひとつの家に寄り集まって徹夜しました。源氏物語にも宮中の「庚申会」のことは記されており、歌を詠んだり器楽を鳴らしたり、賑やかにやっていたようです・・・なんだか楽しそうですね。

 本来は長寿を願う行事でしたが、民間信仰化するに従い多様化し、庚申塔は豊作や豊穣をも願われ、辻の守り神としての役割も担うようになった、とみられますが、その経緯は定かではありません。

青面金剛

 六臂三眼の忿怒相で、顔の色が青い。大きな威力があって病魔・病鬼を払い除くとされます。仏像は、平たく言えば如来・菩薩・明王・天部の四つに分類され、青面金剛はその中の天部(仏教の守護神)に属する神様です。大黒様や吉祥天、仁王様などの仲間にあたります。

猿田彦

 日本の神話で、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天から降りる際に道案内の任を受け、そののち伊勢国五十鈴(いすず)川上に鎮座したという神。容貌は恐ろしく、身長7尺を超える巨漢であったとか。天狗の先祖ともされます。中世から庚申講で主神として祀られるようになりました。

庚申塔の写真を見る

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道祖神関連事項 どんど

 どんど焼き、左義長(さぎちょう)とも呼ばれます。小正月(1月14日または15日、九州では6〜7日)に村境などで火を燃やし、門松・しめなわ・書き初めなどを集めて焚くお祭りで、その火で焼いたお餅を食べるとその年の病気を祓うことができるといわれます。どんどを燃やす場所をどんど場といいますが、多くは村境の道祖神を祀った道祖神場(さえのかみば)。道祖神があるところでは、ほとんどの地域で行われているそうです。


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道祖神の仲間たち

お地蔵様

 仏教の地蔵菩薩(じぞうぼさつ)の略。日本では平安時代から信仰されてきました。「菩薩」は、お釈迦様が亡くなった後、仏のいなくなった世界で民衆を教え導いてくれるもので、ほかに弥勒菩薩(みろくぼさつ)や観世音菩薩(かんぜのんぼさつ)などがあります。地蔵菩薩像は、修行僧の姿で左手に宝珠(ほうじゅ)、右手に錫杖(しゃくじょう)を持つ形が広く流布しました。

 近世になってから民間信仰と結びつき、あらゆる願いをかなえてくれる仏様として信仰され、地蔵講(地蔵菩薩の功徳をたたえる法会)や地蔵盆(京都で地蔵菩薩の縁日に行われる会式。各地でも児童が石地蔵に花を供えてまつる風習がある)なども行われるようになります。

 賽の河原では地蔵が子供の庇護をすると説かれることから、特に子どもに関する御利益を願われるようにもなりました。あるいは「地蔵の十福」といい、地蔵菩薩を信仰すれば、女人泰産・身根具足・除衆病疾・寿命長遠・聡明智慧・財宝盈溢・衆人愛敬・穀米成熟・神明加護・証大菩提の10種の福徳があるとも説かれます。

 発展形として、六地蔵・子安地蔵などがあります。

六地蔵

 仏教には、人は死んだ後にその生前の行いによって六道(りくどう=地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間)を輪廻転生する、という考えがあります。その六道それぞれにおいて人々の苦しみを救ってくれるものとして、地蔵の6つの分身が作られました。中世のことです。

 もともと拠り所となる教典もなく成立し、整理されないまま発展したため、6つの地蔵の名称も持ち物も統一されていません。参考に「広辞苑 第5版」に記載されたものを挙げれば、地獄道を教化する檀陀(だんだ)・餓鬼道を教化する宝珠・畜生道を教化する宝印・阿修羅道を教化する持地・人間道を教化する除蓋障・天道を教化する日光、の6種類。

 死後の安楽を願う信仰なので、お墓やお寺の入り口にあることが多いようです。

子安地蔵

 子育地蔵ともいいます。先述の「賽の河原」の説話から、子授け・安産・子育てなどに関して御利益があるとされます。子どもの守り神として拝まれるのは地蔵一般に対していえることですが、より具体的に、子どもを抱いた形の地蔵なども見られます。


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観音様

 正しくは観世音菩薩(かんぜのんぼさつ)、救済を本願とします。たしかに「すがる」となると「観音様」のイメージで、地蔵菩薩同様、もっとも庶民に慕われた仏様といってよさそうです。多面多臂(顔や腕が複数ある)で表現されることも多く、野山に置かれた石像でも、千手観音(せんじゅかんのん)、九面観音、十一面観音など、様々なバリエーションが見られます。

 優美な姿で表されることが多いけれど、女性というわけではありません。衣や装飾品をまとっているのは菩薩に共通したことです。如来も菩薩もお釈迦様の化身であるから、強いて言えば男性ということになります(仏様の性別を問う必要もないといえばないのですけれど)。

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タノカンサー

 田の神さあと書く、18世紀初頭から薩摩藩領内の田んぼに出現したらしい石像。役割は、その名の通り「田の神様」で、五穀豊穣を司ります。笠をかぶりしゃもじをもったユニークな形のもの、端正な神像型、自然石など、様々なバリエーションがあります。

 風習としては、回り田の神、田の神盗みなどがあります。

回りタノカンサー

 家庭の床の間にタノカンサーを置き、大事に祀り、一年たったら化粧をしてよその家庭に移す。タノカンサーの嫁入りとも言われ、その際にはタノカンサーとお酒をくみかわしたりごちそうを食べたりもするそうです。以前TVで見た時には新婚家庭を回ると言っていましたが、そうなると子孫繁栄の意味もありそうです。

タノカンサー盗み

 以前は、新しく開田した地域が、豊作の続く地域のタノカンサーを盗んでいって祀る風習があったそうです。盗まれた地域も返しに来るのを待っており、盗んだ方は、3年後にお礼の米や酒と一緒に返しに行きます。その時には、合同で盛大な酒盛りになったそう。

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磨崖仏

 まがいぶつと読みます。その名の示す通り、自然の丘陵の岩壁に彫刻された仏像。中国の敦煌などが有名ですが、日本でも各地で見られ、特に大分のものは有名です。大日如来、薬師如来、観音菩薩、不動明王など、彫られるものは様々です。

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〜参考文献〜
「道祖神散歩」道祖神を歩く会 野中昭夫 新潮社 とんぼの本 1996年
「石仏調査ハンドブック」庚申懇話会ほか 雄山閣出版 1994年
「広辞苑 第五版 CD-ROM」 岩波書店 1998年
「田の神さあガイドブック」 えびの市役所でもらったもの
ほか

〜Special Thanks〜
庚申塔フォトグラファー 大田区の近藤様

作者へのメール:kabocodouso@infoseek.jp←@の前dousoのを取ってメールしてください


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